Saturday, January 18, 2014

美術について考えること/Art and art

前に美術館で有名な舞踏家の制作日記を見た時に、
「伸びた腕を、伸ばした腕を使わずに表現する」と書かれていた。
伸びた腕を使って、伸びた腕を表現するのは、そのものだから簡単だ。
伸びた腕を使って、伸びていない腕を表現するのは、多分少し難しい。
では、伸びた腕を使って、腕ではないものを表現するのはどうだろうか。

写真とは、そこに写っている物体が何であるか、
見た人にばれることが多い。
でも、本当はそこに写っているものを介して、
何か別のことを言うためのものだろうと思う。
もっと先のことを言えば、そこに写っているものを介して、
見た人の心の中にある記憶や風景を呼び起こすような、
そういうものが美術の醍醐味なんだろう。

いろんなアートや表現が溢れるけれど、
そんな作品に触れていきたいものだと思う。

Saturday, December 28, 2013

Sunday, December 22, 2013

2007年、2013年、2014年/2007, 2013 and 2014.

2007年1月17日に書いたヌーについての文章。
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あなたの心の中にある寂しさやうれしさや切なさや喜びみたいな気持ちと、
私の中にあるいろんな想いを繋げていきたいと願います。
言葉なんてものには限りがあって、
国や時代や価値観の違いを乗り越えるのは難しいから、
nu[ヌー]が生まれました。
時に絵だったり、写真だったり、言葉だったり、
伝統だったり祈りだったり旅だったり、
nu[ヌー]が現れる場所に決まりはありません。
この青いかぶりものがあなたを強くして、
人生の意味とか、
もしくは充実した未来なんてものを信じさせてくれたのなら、
なかなかうれしいのです。
どこに向かうのか、現時点ではよくわからないけれど、
nu[ヌー]の導くところならどこだって行ってみたいと思います。
みなさんの心の中にも、nu[ヌー]が住み着けますように。
どうぞよろしく。
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2007年の私は、先のことなど何も知らずにこの文章を書いていたけれど、
今でもヌーや写真、美術について思うことに全く変わりはなくて、
不思議とここに書いた通りになっているのだと感じます。
来年4月に5年半ほど働いた会社を辞め、
世界のいろいろなところで作品を生み出す暮らしを始めることにしました。
大学を卒業する時には、どんな風に美術と向き合うのが
一番自分にしっくりくるのかわからずに悩んでいましたが、
やっと付き合い方がわかって腑に落ちたような
そんな気持ちです。
新しいスタートには不安もありますが、
なるようになるだろうし、ヌーもいるから大丈夫という気持ちで、
来年も満喫していきたいと思います。
今年一年、世界のいろいろな場所でお世話になった皆様、
本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

Thursday, December 19, 2013

嘉義で撮った写真について/About the pictures I took in Chiayi



嘉義で撮影した19本のフィルムがお店から戻って来て、
半分ぐらいを確認した。
残り半分はまだ見れていないけれど、
撮った内容にタイトルを付けるとしたら何だろうと思う。
そして、それがきっと次の展示の内容になるのだろう。
オズの魔法使いで言うThere is no place like home.
(我が家のような場所はない)の逆で
"A place like home"(家のような居場所)と呼ぶと
しっくりくるのかもしれない。
どれを持って嘉義に戻るのか、これからゆっくり考えるけれど、
改めて写真を眺めるとあの1週間とは思えない濃い時間は、
やっぱり私にとって大事なものだったなと
感慨深い気持ちになった。

Tuesday, December 17, 2013

"Words Fail Me"についてのAgnesの話。/Agnes's story on "Words Fail Me"



"Words Fail Me(2013)"

嘉義での展示での写真作品"Words Fail Me"を見て、友達のAgnesが文章を書いてくれました。
Agnesとの話の中で私が理解した内容を日本語にしてみました。
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人生には、いつだって喜怒哀楽が混ざって存在する。
人生はきっと、旅のようなものなのだろう。
祖父が私の手をぎゅっと握ってくれたあの日は始まりであり、
そして、同時に終わりでもあるのかもしれない。

遠くの山を眺めてみる。
その向こうに何があるのかという好奇心が私を動かす。
目の前にあるはずのベニバナの花でさえ、
家の中からではカーテンに遮られてよく見えない。

外の世界を知ろうと家から出てみる。
そこにはたくさんのものが存在すると気付く。
そこには、あの黄色い花もちゃんと咲いている。

私はしばらくここに留まる。
季節が一つ流れるぐらいの間。
すると、突然の雨が花と葉を分かち、枝を地面に落とす。

それでも、私は時間というものが不純物を取り去り、
人生の本質を見せてくれると信じる。
私は自分の子供のころを思い出す。その頃信じていた、自分の居場所。
それは、心の中に刻まれた一番美しい記憶。
祖父にまた会えるような感覚。

でも、私はそんな幸せが簡単に消え去ってしまうことがあると知っている。
前がよく見えないのは、突然の雨のせいか、
それとも私の涙なのだろうか。

そんな人生の旅の記憶の一つ一つを私は書き留める。
旅で出会う一人一人が持つ、それぞれの人生。
私たちはそれぞれの道に戻り、人生という旅を続ける。
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(オリジナルの文章はこちら。)
人生就是喜怒哀樂的總和。
Life is a blending of joy, anger, sadness and happiness
一趟名為"生命"的旅行,
讓我把它寫下來,就從一雙爺爺緊緊牽著我的手開始。
I wrote down a journey named “life”
from the time when grandpa held my hand tightly
也或許是結束。
However, this may also be the end.
端看那遠處的山,
對這世界生疏的我因好奇心之驅使走向前,
I am tuned to gaze at the distant mountain, and driven by my curiosity to walk forward.
走進屋內往窗外看視線被窗簾阻擋無法清楚穿透,
外頭的紅花霧濛濛的。
The safflowers were hazy through the blocked sight of the curtain.
往外走,才發現這世界還能探索的事物還能夠再多,原來黃花也在。
Not until you went strolling the world, could you realize that there are a lot to explore in the world,
and finally found out the yellow flowers were there.
我待著一段時間,也許經過一季,
I’ve been here for a span, maybe a quarter.
抑或是一場突然來的與那場雨,打亂了花與葉、枯枝落地,
A sudden rain may disarrange the flowers and the leaves. The withered branches fall to the ground.
但我深信時間將會替我挑選出生命的雜質與菁華。
Yet I still believe “time” will percolate the impurities and essence of life for me.
視線將我帶到孩提時,家的方向就在那裡,
My attention was brought to my childhood, to the place where I belong.
彷彿回到了與爺爺或是與那個心中最珍惜的東西相聚的那一刻,
It was like getting back together with my grandpa and the most precious memories in my heart.
但這樣的幸福是如此容易消失啊!
This happiness however is too easy to disappear.
眼前是濛濛一片,分不清是淚還是突然來的的雨,
I can not tell whether it was the sudden rain or my tears which drizzled my eyes.
讓我把它寫下來,
一趟旅程之後記錄著所有回憶,
Let me write down those memories I carried during the journey.
而路過的一切都有他們將要走的路,
好比我們終將回到自己該走的路上,繼續好好的生活著。
Those passers-by I encountered got their own ways, just like us. 
We will get back on track, and live on our lives.

Saturday, December 14, 2013

嘉義日記7/Chiayi journal 7


嘉義に帰るということ/The meaning of coming back to Chiayi

嘉義に帰ったら、前の暖かい記憶が変化しちゃうんじゃないかなんていう、
小心者の私の心配なんてどうでも良かったのだと、
実際にみんなに会って気付く。
お馴染みのメンバーが、それぞれの姿で私を迎えてくれて、
猫を失った私の悲しさも暖かく包み込んでくれた。
いつだって思い立ったら帰って来ていいんだよという言葉が本当に暖かくて、
そんな居場所ができたことが幸せだ。
日本に戻ったら、前回のフィルムができてきてる頃だろう。
私はこれから一体何を考えて、どんなものを作るんだろうか。
また来年帰ってくるねと言った約束を守りたいから、
必ず帰ってこようと決意しつつ、今回は帰ります。